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クリエーターたちの挑戦
Yamamoto Naoaki
山本直彰さん(日本画家)創作を自然の力に委ね人間が絵を描く意味を問う
日本画の定義はあいまいで、単に「にかわを使う絵」という説もある。山本直彰さんは、自らを「日本画家と呼んでもらってもかまわない」と言うが、同時に「僕は絵を描いているのであって、日本画を描いているのではない」とも言う。実際、山本さんの作品を初めて見る人は、それが日本画とは思わないだろう。では、山本さんが日本画の材料を使い、日本画らしからぬ絵を描くのはなぜか。藤沢市郊外のアトリエを訪ねた。
 
問「なぜ、日本画を描くのですか」
 日本画という分類は明治以降にできたもので、あまり意味があるとは思えない。そもそも、今やテクノロジーが美術の世界にも侵入してきて、映像だってCGだって使える。何でもありでしょう。

 では、そういう時代に、なぜわざわざ自分の手で、こんな面倒なことをしているのか。しかも、日本画の画材はすごく原始的で手間がかかる。でも、チューブの絵の具を使いたいとは思わない。自然の材料を指で溶いて肌で感じて、一体化して描いていく。そこに面白さがあるのかな。
問「初期の作品は、人物画ばかりですね」
 いわゆる「日本画」ではあまり扱わない画題だね。でも、花鳥と同じく人体も自然の創造物で、調和のとれた造形だ。それを描き続けているうちに、自分の表現が何かに限定され、狭められているような思いにとらわれ始めた。
「M氏の肖像」麻紙、岩絵具、箔(はく)、膠(にかわ) 1987年 227.3×181.8センチメートル
 そんな時、「ドア」にぶつかった。ある日、ドアが開かなかったんだ。

 開くべきドアが開かないというのは、とても怖いことだよ。日常のありふれたものが、突然巨大な恐怖を伴って自分に襲いかかる。ドアとは、たった1枚で世界を隔て、裏と表、天国と地獄、喜びと悲しみ、理想と現実、男と女を分けるものだと気付いた。それからしばらく、ドアばかり描いていた。

 ちょうどそのころ、文化庁の派遣でプラハに渡ることになった。1992年のことだ。ビロード革命(民主化革命)3年後のプラハは、チェコとスロバキアの分離を控え、町全体が「改装中」だった。あちこちに廃材が転がっている。そこである日、路上に落ちているドアを見つけた。

 キャンバスを立てて描く油彩と違い、日本画は紙を床に寝かせて描く。それと同じ状態で、ドアが地面に寝ていた。僕に「描いてくれ」と呼びかけているようだった。
左/「Self-portrait」木扉、和紙、岩絵具、箔 1993年 200.5×89.5センチメートル
右/「Man,Woman,Child」木扉、アクリル、箔 1993年 195.0×87.8センチメートル

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