TOPLiving Style路地裏の極上住宅

優れた住宅をつくろうとするとき、その原動力になるのは、建て主が見せる強い意欲とパワーであり、建築家が示す熱いスピリットとアイデアである。東京において、極上住宅は路地裏に生まれ、育ち、鍛えられてきた。これは、路地裏で身を粉にしてきた建築家が、活動の舞台を表通りにまで広げ、さらなる極上住宅をつくろうとする物語である。

「極上住宅の誕生」 ~すべては路地裏から始まった~

1台の駐車場から

 都市の概念を揺るがす大事件である阪神淡路大震災が起きたのは、私が大学を卒業し、社会人になりたての1995年のころでした。その後、臨海副都心で開催予定であった世界都市博覧会が都知事の一声で中止になり、オウムの地下鉄サリン事件など、立て続けに都市を騒がす事件が起きていきました。

 バブル景気に沸いた1980年代の勢いははたと消え去り、日本の国力がぐらぐらと揺らぎ、音を立てて崩れ始めていくのを肌で感じながら、「建築がつくれなくなる現実」を受け入れ、闘う準備をし始めたのを最近のことのように思い出します。

コンクリート打ち放しと木製ルーバーによるファサードの構成は、路地や隣地に対して閉じ、プライバシーを確保している(写真、中村友則)

 建築家として独立したのは、それから5年後のことでした。世間はインターネットや携帯電話などの登場に沸いていたものの、景気全体の回復の兆しは見えず、当然のことながら、私のような独立したての若い建築家に仕事が回ってきそうな状況は皆無でした。

 しかし、世の中が変わるこのようなタイミングでこそ、新しい何かを生み出していかなくてはならないと強く感じていたのも事実です。下を向いても仕方がないと感じていた私は、まず都市の現状をしっかりと観察することから始めました。

 多くの建築家の卵が自宅兼アトリエで始動していたのをよそに、千代田区という都心に小さな事務所を構え、都市の現状を俯瞰(ふかん)しながら、建築内外のたくさんの人々や物事と積極的にかかわることで、多くの前向きな同士がいることを知り、勇気をもらいました。

 事務所にほど近い千代田区の一等地にある空き地に建物を建てたいという依頼に恵まれたのは、それからしばらくしてからのことです。それは、私のデビュー作となる「SEVEN」の建て主との運命的な出会いでした。

計画敷地を見る。隣地には搭状建物が建ち、計画地は車1台分の駐車場として使用されていた(写真、APOLLO)

計画敷地から路地を見る。都心の路地裏にある計画地は、全体的に薄暗い印象である(写真、APOLLO)

 都心の路地裏にあるわずか9坪ほどの薄暗い空き地は、バブルの残骸のごとく3方をオフィスビルで囲われ、外車1台分の駐車場としてかろうじて使用されていました。立体駐車場にしたいというのが依頼主の希望でしたが、その賃料を聞き、ワンルームの家賃よりはるかに高かったことに唖然(あぜん)とし、驚きを隠せませんでした。

 もちろん立体駐車にすれば事業の成功は間違いないでしょう。しかし、この一等地に立体駐車場をつくってしまって本当に良いのだろうかと、設計の端くれとしては悩みました。私は思い切って「立体駐車場ではなく立体住宅にしてみませんか」と提案してみたのです。

 きっとあきれられるに違いない。そう思っていた私の心配をよそに、建て主は強く同意をしてくれました。今から思えば、若い建築家の無謀かつ意欲的な提案に何かを感じ、懸(か)けてくれたのではないでしょうか。

 この路地裏の9坪の敷地が、私にとってデビュー作になる。都市が音を立てて崩れ始め、建築がつくれなくなる時代に、建築の原点といえる都市住宅をつくることで建築家としてのメッセージを出していこう。そう確信したときは、喜びに震えました。

 そして、何より建築家としての提案が社会に受け入れられたという事実こそが、このうえない幸せでした。建築を生みだすことの喜びを与えてくれたクライアントに報いなければいけない。そう心に刻みつつ、私の建築人生が幕を開けたのです。

立体住宅の模型断面。狭小地に対してプランを縦につなげることにより、空間に豊かな広がりを持たせている(写真、坂口裕康)

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