TOPLiving Style路地裏の極上住宅

極上住宅とは何か ~デザインという贈り物~

デザインという花を贈り続ける

 アトリエ系設計事務所という呼称には「作品」をつくるという思想が表れています。かつてはクライアントのためにつくるという意識が希薄なアトリエが多数存在していましたが、現代ではそのような思想では生き残れないようになってきました。

 建築をつくることは国家事業であるという意識が強かった60年代ごろは、クライアント不在の公共建築などが設計の中心であったため、生み出すものに対する社会的責任が建築家を突き動かしていたように思います。

 70年代に入り経済の時代に突入してからは、住宅から高層ビルまで大小のクライアントが登場し、依頼を勝ち取るための設計力やマネジメント力を持った組織設計事務所や住宅メーカーなどが制空権を獲得していきました。

 90年代に入り、結果的に時代の流れに取り残された小さなアトリエは技術やスピードに適応できなくなり、仕方なく大きな建築を手掛けることはあきらめ、小住宅を丁寧につくる以外に建築家として十分な役割を見出せずにいるのが現状のように見えます。

 しかしながら、このような状況が、日本の建築家に住宅に対する深い情熱を植え付け、世界に誇る極上住宅の技術やデザインが生み出される状況をつくり上げたわけです。

建築家とクライアントの間で互いに感動が生まれれば、デザインは進展する(写真:西川公朗)

 若手を中心とした次世代の建築家の多くが住宅に興味を持つようになり、デザインに対する生活者の意識も高まっています。しかし、消費社会に浸り切ったクライアントの多くは、ゼロからデザインする姿勢をすっかり忘れ、欲しいものを明確に与えてくれる人を探しつつも、きっかけを見つけられない状況が続いています。

 一部の人を除いて、建築家の可能性に投資するという発想が希薄であることに変わりはありません。それは消費社会がもたらした等価交換の意識に加え、建築家に対する信頼感の欠如が主な原因です。

 デザインとは常に先行投資であり、結果が出るかどうかは後で分かる仕組みです。この仕組み自体が建築家の信頼感と自由な発想を奪い、成功は義務と考える慎重派のクライアントはリスクの高い建築家に依頼したくでもできないというパラドックスを生んでいます。

 かつての日本はどうだったのでしょう。

 江戸時代には、棟梁が街の住民のためにひとつずつ家を建てることが使命でしたので、職人を結集して家づくりにエネルギーのすべてを掛けたのも当然でした。棟梁に絶大なる信頼を持つ住民は家づくりの全権を棟梁に委任したことで、棟梁は現代の建築家のようにデザインから施工までのプロセスを一手に引き受けることができたのです。

 そして、なにより圧巻だったのは家が竣工した時です。「支払いはどうすれば良いですか?」と建て主が棟梁に尋ねると、「あなたの好きなだけで良い」と答えたそうです。つまり、日本における建築のルーツは等価交換の経済原則に沿ったものではなく、「贈与」だったのです。

 このようなやり取りを通して、住民には棟梁に対するリスペクトが増し、家で生活することに感謝する日々が生まれました。棟梁は一人でも多くの街の人に喜んでもらうために、そして高い技術を贈与することができるように、厳しい修練に励んだのでしょう。

クライアントが大きな信頼を与え、建築家が情熱で応えることで、思いが形になる(写真:西川公朗)

建築家とクライアントのセッションから生まれた言葉の数々を丁寧に紡ぎながら、極限まで形にしていくことで極上住宅は生まれる(写真:西川公朗)

 「家づくりは愛している人に花を贈るようなものだ」というイタリアデザイン界の巨匠、エットーレ・ソットサスの言葉が私は好きです。信頼とは、依頼者とつくり手それぞれの贈与の気持ちをくみ取る過程で生まれるものです。損得勘定抜きで信頼に応えようとする行為を生業(なりわい)にしているのが、建築家やデザイナーであるといえるでしょう。

 一人でも多くの人に素敵な花を贈るような気持ちで、これからも路地裏でひた向きにつくり続けていくことができれば本望です。そして、一人でも多くの人が建築家やデザイナーとともに極上住宅にチャレンジできることを願いつつ、ひとまず筆をおきたいと思います。

 2年間お付き合いいただき、ありがとうございました。またいつか、どこかでお会いしましょう。

都市を俯瞰(ふかん)しながらも、路地裏に根差し、花を贈り続けるのが、建築家の使命である(撮影:西川公朗)

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