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うちの施主のおかしな注文
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京都で「おかしな人やんな」と言われたら、「面白い人ですね」「変わった人ですね」のいずれかを意味する。これは、「施主のおかしな注文」をエネルギー源にして活躍する新進建築家、中村安奈と神野太陽(イースタン建築設計事務所)の住宅設計物語である。
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スリットの庭
きっかけ

 ここは、京都・伏見、墨染(すみぞめ)町。私たちが住む町である。施主もこの町に住む。

 2008年の秋、腰を悪くして、整骨院をネットで探した。住所を見ると近い。私たちの事務所から5分とかからないところに接骨院・鍼灸院があった。毎日その前を通っていたのに気がつかなかった。そこへ行った。
 私たちを治療してくれた先生が、今回の施主である。柔道整復師(整骨師)である。カイロプラクティックと鍼とを、両方やる。凄(すご)く治る。驚くほど。

 この施主のことは親子三代にわたって話をする。施主のお父さん-お母さん-施主本人-奥さん-奥さんの故郷、広島・因島のおばあちゃん-長男-長女-次男。全員でかかってきた! 全員が注文を言った!


私たちの住む町に、私たちがつくった建築の話をしよう。施主は、柔道整復師(整骨師)である。この通りは、京都・伏見にある墨染通。外壁はこの地の伝説「墨染桜」である。1階がテナント店鋪、2~5階が集合住宅である

 今思い出すと、第4回(「アビラウンケン」と酒2升塩10キロ)のコラムで話した「スリットの家」と正反対の仕事だった。スリットの家は“無言の注文”という意味で難題だった。こちらは、“無限の注文”に近かった。

 無限の注文がなぜおこるか? その訳と、そのやりとりの代表的なものと、それで、できた建築について話す。決して、言葉ではまとめることができないものを、形がまとめる、これはそういう話である。


家族の注文風船。生きる場所からあがる。右から琵琶湖、東山、京都市街。敷地はなだらかな丘陵にある

 施主のお父さんは石川県の出身で、この墨染で銭湯を始めた。鉄骨造3階建で、1階に銭湯、井戸水を使っていた。2階に(息子である)施主の接骨院・鍼灸院があった。他にサウナとカラオケルームがあった。3階が住居だった。銭湯の掃除はこどもたちも一緒に家族全員でやった。

 銭湯は10年程前、惜しまれつつ閉められた。施主もこのビルの2階を出て、30メートル坂を上がった土地に、接骨院と自宅を建てた。私が通ったのはそこだ。

 使われなくなった銭湯は、地震が来てなにかあってもたいへんだ、取り壊して、マンションとお母さんが住む家をつくろうと、施主は考えた。ハウスメーカーが何社も案をつくっていた。そこへ、私が、偶然、患者としてやって来たのだった。


墨染通。見えている橋の下は琵琶湖疎水である。敷地は、この坂を下ったところにある

 治療用のカイロ・ベッドにうつぶせに寝て、背骨を整骨されながら、次のような会話が始まる。
 施主「A社は、あれはいいが、これが悪い。B社は、これはいいが、あれが悪い。でもデザインは大差ないのに突っ込んで聞くと、納得いく答えが返ってこない」
 私「メーカーさんごとの事情ってもんでしょう」
 施主「あんたはどんな建築をつくってるのか? 写真はないのか?」
 私「ちょっと変わってますよ」
 施主「変わったものもやはりできるんだろ?」
 私「秘策っちゅうものがあるんです」
 施主「そりゃあなんだ」
 私「土地も、人にも、それぞれ持ち味ってものがあるんです」。ボキボキッ。
 施主「それで、それをどうする?」
 私「素直に出すんです、だから建築ってのは、それぞれ違うもんです」
 施主「背骨があんたの曲がり方をしているのを“治す”ようなもんだな」

 施主は、ボキボキしながら注文を言う。

 ある日、イースタンの建築写真を見せた。「やっぱり、こんなのできるんじゃない!」。奥さんは喜んだ。施主は言った。「これは樹か(西八條邸彩丹)? これはアルファベット(東陽オアシス能登川)だな、われわれの頭文字でもデザインできるな」。東陽オアシス能登川のデザインはアルファベットではないんだが…。

施主が広告の裏に描いた「謎のスケッチ」、アルファベットになっている

 話はつきなかった。「われわれはこの町が好きなんだ。町を盛り上げることは、町を好きになってもらうことだ。そういう建築は他の場所と同じじゃない。オンリーワン! 昔、銭湯をやっていたんだ。町中の人が入浴したんだよ」。

 この町を好きになってもらうということは、具体的になにをすればいいのか。それは、賃貸マンションを成功させることや、その1階にテナント店鋪を入れるというようなことだけでできることではない。
 「持ってってくれ」と、どんと、胸に渡された資料が、重かった。帰り道、町が違って見えた。

 敷地は墨染通にある。この通りを毎日歩いている。私たちが住む町のことだから、その現実を遠慮なく(見破って)言おう。

墨染桜をくぐると、この“内庭”へ出る。この建築の真髄である。11本の曲線のスリット(細い窓)がうねる。空へ伸び上がる


 墨染通は東西に走る幅8メートルの坂道である。中央線のない道路(両側1車線)で、歩道はない。
 東山を越えた山科(やましな)への抜け道となっており、この町のことなど見向きもしない車が、我が物顔で過ぎる。それが、腹が立つ。坂の途中に墨染駅がある。踏切もある。電車を使う人々で一杯になる。墨染通は、地元の食品店で食材を買う人、ここで生きるお年寄り、駆けていくこどもたち、女性たち、自転車が、車に遠慮している。
 墨染通は、車の輸送路と化し、町の住人が、生きる喜びを分かちあう場所ではなくなっている。  “道路”に面して、個人の店や住まいを開くということは、戸口、開口、部屋、庭、窓、すべてに関わる。

 自分の美しい人生は、町とともに運命づけられている。そして人が外なるものと接する初めての場所は、道である。

 町を好きになるとは、町と人と道の形の在り方なのだ。そこに混じりあう、挨拶、語らい、立話、幻想、そういったものを、ここでは、特に「墨染の感情」と呼ぼう。
 この墨染の感情を共有しうる私たちを施主は選んだ。「美しい建築をつくらねばならないよ」、そう言って、私たちが、特殊な形を扱えることを喜んだのだった。この施主は、建築が町の精神を形づくると信じて疑わなかった。

内庭を屋上から見る。「奥」に2室、「前」に2室ある。奥の2室はL字型に内庭を囲む


 施主が言うには、「まずはわれわれのことをわかってもらわねば」。そういう理由から、家族一同と何度も食事をした。食べる時間のなかで多くを伝えようとしたのだった。

これは、共用の廊下から内庭を垣間見たところ。どの部屋に入るにも、この内庭をぐるっと巡りながら入る

 接骨院の屋上でつくるトマト、家族全員がつくる餃子、300個はあった。うまいキュウリ、レモン、れんこんハンバーグ、施主が焼くシフォンケーキ、みかんのゼリー、マンゴー酢サワー、食べながらいろんな話をした。異色のものが味わえた。
 奥さんが京都の幼稚園に勤めるために因島から出て来たこと、因島へ帰郷すると、彼女を追いかけた施主、世界中へふたりで行った旅行の写真、球友のバイク事故で甲子園に出られなかった高校野球、交通事故の脚の傷、テレビ取材があった、兵庫県・竜野の醤油樽でつくった茶室、そのときの撮影で、銭湯に化粧して入っている近所の奥さん方のビデオ、接骨院を引退したあとに毎日するはずの散策のルートの相談、因島のみかん、若いとき大工をしていたお父さんの木細工、座った番台の眺め、町の人たちの曲げない性格、施主と長男の確執、長男と私たちは655番地のバーでばったり会う、長女と酌み交わす酒、無言で牛乳を飲む次男、銭湯の解体前に、屋上でやった流しそうめん、墨染納涼祭や墨染さくらの市に出す手作りの餃子のキャベツ切り、出店で、うちのスタッフも一緒になって1920個の餃子を売りさばいたのは、昨年の夏のことだった。
 なにもかもが、今思うと、私たちへの注文だった。人と町を信じようとする、果てない思い。




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