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うちの施主のおかしな注文
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プロフィール 実作品 国際設計競技案
京都で「おかしな人やんな」と言われたら、「面白い人ですね」「変わった人ですね」のいずれかを意味する。これは、「施主のおかしな注文」をエネルギー源にして活躍する新進建築家、中村安奈と神野太陽(イースタン建築設計事務所)の住宅設計物語である。
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工業地帯の巨大な「つきあい道」
失った浜辺

 今回は、私が私の注文に応える。幼少時代の「私」の注文に、私自身が応える。そういう、空想の建築の企て、イメージ・プロジェクトである。それは“巨大なつきあい道”だ。

 このイメージ・プロジェクトの敷地として設定したのは、私が生まれた町である。私の町の“西”に広がる、海浜の工業地帯である。

工業地帯の今の様子。人々が海の方に歩いていく道はない(写真:鳥村鋼一)

 …私は、伊勢湾の半島に生まれた。愛知県の知多半島である。
 知多半島の突端の海岸は、遠浅で美しい。人工浜ではない。海岸の砂粒は世界でもっとも小さい。

 同じ砂の海岸が、私の町にもあったはずだった。私が生まれた町は半島の突端ではなく、半島の根元にある。町は西側を海と接している。
 父と母が結婚して、母がこの半島に来たとき、町に海はなかった。
 埋め立てられた。日本最大の工業地帯・中京工業地帯の中心地に私は生まれた。

工業地帯の敷地。私が育った町は工業地帯のすぐ隣にある。海がすぐそばにあるのに、近くの海で遊んだことはない

 伊勢湾は、中央アルプス山系から流れる何本もの大きな川が、合わさって湾へ出る。湾は、太平洋へ出る口が、すぼんでいる。この地形が、川から流れ出る砂を湾の内へ閉じ込める。外洋からの季節風は、さらに砂を浜辺へ戻していく。海岸は遠浅となる。この湾の砂は世界一美しい。

 工業地帯がこういう場所に集まるのも、この地形的な理由からである。工業地帯は大量の水を使う。“水”で、その規模をイメージしよう。
 私が7歳だった年(昭和50年)の名古屋地区工業用水・淡水(回収水を含む)の一日の水の使用量を、「工業統計表」によって調べた。
 名古屋地区というのは、名古屋市と私の町を含めた10市。そこにまたがる工業地帯が“一日”に使う水の量は、喩(たと)えると、東京都の水道用の貯水池・多摩湖(村山貯水池)の全貯水をたった2.5日で飲み干す。

 この量を欲して、川ばかりか、農業用水も、“取水河川”という認識となる。水利権が調整され、“工業用水道”が建設される。

 現在も、配水管の建設や補強工事は継続されている。使われた水はいかに排水されているのだろうか。
 私の町は、水収奪の歴史の最終地点で、高度経済成長の震源地だった。

 思い出す。坂の上へあがっても、そこから見る西の空に、夕焼けを見たことはなかった。私の幼少の思い出には夕焼けがない。海浜工業地帯の煙突の噴煙と炎を見ていた。
 多くの子どもたちが喘息患者だったし、私もその一人だった。

 その先には海があるはずだった。

 半島とは1つの涯(はて)で、崖まで波が来ていたはずだった。崖の下に、引き潮のときだけ、道が現れたという。そういう地形だった。昔は。満ち潮のときは、道は波間に消え、人は波打つ崖の上を通った。
 台風も多かったし、祖先は治水に悩んだが、結局、崖ごと持っていかれたんだ。海を失くした海岸の町、それが、私の町だ。

 これは、「大蛇のような人工物」が、その工業地帯を呑み込んでゆくという、空想によって書かれた物語である。

 私の注文は、「失った浜辺を見たい」だ。



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