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うちの施主のおかしな注文
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プロフィール 実作品 国際設計競技案
京都で「おかしな人やんな」と言われたら、「面白い人ですね」「変わった人ですね」のいずれかを意味する。これは、「施主のおかしな注文」をエネルギー源にして活躍する新進建築家、中村安奈と神野太陽(イースタン建築設計事務所)の住宅設計物語である。
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建築を千夜一夜のように語る 前編
物語の始まり

 もし、千夜一夜物語の、アラジンの魔法のランプの魔神が、1つだけ願いを叶えてくれるとしたら、人はいろいろ要求するだろう。名声、永遠の美、だれかの愛…、だが、私はここで、「わたしはわたしの城が欲しい」という人の物語を書く。意外にも、それが、私の母だった。
 そんな話がこのコラムにふさわしいと思う訳がある。
 施主のおかしな注文の底に流れているものに、「わたしはわたしの城が欲しい」という声を聴くからだ。
 そして、今、私は、母のことを思い出す。昔、私が子どもだった頃、母が私に語ったこと、昔、母から言われたことを思い返す。

 少年の私が相手だから、母が語ることができた物語は、一人の女の魂が、彼女のかけがえのない時をも、あこがれの時をも飛びこえてゆき、自分だけの願望を再び生きようとするものだった。母は、そのとき、その物語の中にとどまり、そして、自分の歳をも知らない。

この建築は、母が話すファンタジーの世界のものだ。街は円屋根が無限に重なっている。船に乗ってファンタジーの国に乗り込む。さあ、旅の始まりだ!

 母は次のように話し始めた。

 「わたしは船出していくところ。想像して。わたしは画家になりたいと思っていた。それしか考えていなかった。なれると思っていた。実際、そうなった。そうなろうと思っていた頃、わたしは日本から出ていく自分の姿を夢見ていた」
 彼女が渡った国の名は聞いていない。少し前置きをしておこう。私がわずかの歳月見ていた祖父、つまり彼女の父は、ある機械を発明し、一代で大きな会社を築いた。海外へも機械を輸出していたから、彼女の夢はまんざらでもない。祖父の生地は母も祖母もだれも知らなかった。“ここへはもう帰りません”と書き置きを残して、故郷を出たそうだ。その手を切って血印を押して。東京へ出て、働きながら夜間大学で工学を学び、ある機械をつくって特許をとって、財をなした。

 「そういう激しい血を継いでいるかもしれない。おまえは実業家になると、おじいちゃんには言われたのよ。画家になったけどね。おじいちゃんは反対しなかった」

 祖父の広大な工場には、線路も通っていた。工場の屋根は高い。母は、そこに床を張ってもらい、アトリエにして、絵を描いた。

 「あの頃は少しかぶれていたわ」と、彼女は肖像写真を持ってきて見せた。屋根裏のアトリエで、ローソクを灯した暗闇に映る、赤く暗い熱気がある絵の前で、こちらを見ていた。骨ばった顔は、私の同年代の少女たちとはかけ離れていたし、恐ろしかった。その頃の私は、その顔が美しいのだ、という感性を知らなかった。

 この人は、私から、もっともかけ離れた人だ。そう感じた。実際に、母が若い頃に海を渡ったことがあるのかどうか、私は知らない。私は、母はどこか遠いところから来て、どこか遠いところへ行く人だと思っていた。「わたしは船出していくところ」。いつも彼女の物語はそうやって始まったから。私の夢の中と思い出の中で、母はいつも船に乗っていた。
 狂ったように夢見ていて、幻影を追っている人間たちに共通する独りぼっちの感じがそう思わせた。

 「わたしの乗った船は、ある“街”に着く。巨大な丸いドームがいくつもある。ドームってわかる? 円屋根が無限に重なっている、とても美しい街が見えるでしょう。無限の屋根の街よ」

 “街”は、その頃の日本人があこがれたヨーロッパ的な場所とは違っている。母の肖像の東洋的な印象からか、我が家のアトリエの蔵書の中で私が盗み見たペルシャかどこかの古い書物のイメージだったかもしれない。あるいは、彼女のそばで嗅ぐ絵の具の匂いと、私の町の、子どもならだれもが持つここは世界の涯(はて)だという意識、それらのすべてが少年の中で雑種的に混ざった“街”だったかもしれない。母がたどり着いた海と、海岸から街へ上がってゆく母の姿は、留学というものにあこがれるあの時代の少女の花よりもはかない夢だったのかもしれない。

 「わたしは高貴なものの生まれかわりで、わたしが行くこの涯の街も、天の方から祝福されているわ」。ある祈りに近いこの不合理な物語の条件づけを、彼女はやった。そうだろう、そうに違いない、と少年の私は思ったし、その話しぶりが好きだった。今も、どんな女も共通して、そういう女性的な信仰を持っているのではないかと思う。わたしは祝福されている、という、あの感覚。

 「わたしは、この街の奥深くへ入っていくのよ! 地下通路、果てしなくつづく壁画を見つけ、わたしにしかわからない素晴らしさをもった彫刻や、街角に座って、絵の夢想にふけるの。歴史が始まる前から飛び交う精霊を見つめる旅の準備はいい?」
 いいよ、と私は言ったに違いない。

 その街の美しさについて、今私は語ろうとしているが、難しい…。物語の中で場所を伝えるときに役に立つのは、はっきりと特徴のある建物の外観や、その色彩、道の幅や状態、それらをつくる素材というものに頼る他はない。人が物語の中へ入ってゆくということは、なんらかの具体的なイメージの中へ入ってゆくということだ。
 どんな物語、どんな神話、どんなファンタジーの中にも、行きつくところには建築がある。
 私は思う。遠方から外界を見るとき、その形の美しさとわかりやすさで、ペルシャの円屋根やモスクの曲線美は比類がない。母は正しい。単純な形は、人間が内的に夢を深めていくことを邪魔しない。彼女の夢の街は、巨大な丸屋根が無限に重なっているのだった。
 そうして、私は、白い円の波の重なりが隆起する中へ一緒に入っていったのだ。


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