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うちの施主のおかしな注文
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建築を千夜一夜のように語る 後編
最終地点

 かれらは、窓を彫る男が千の窓の構想を生んだ街へ入って行った。「わたしが入ってきたのとは逆の側へと下りて行ったんだけどね、ともかく、そこは新鮮だった」
 「街は、海へと下りていく傾斜地。これまでの宮殿とか塔とかドームの壮麗な雰囲気とはまるで違う。細い通路がひとところもまっすぐに伸びていない傾斜面にびっしりと家々がひしめいていた。その1つ1つが何階建てなのかはわからない。小さな窓が開いている、その数もまた無数だった。間から生え出る道は、2メートルほどの、蔓草(つるくさ)のようで、長く豊かで美しい。人が小道に座り、歩き出し、木陰で休む、人と挨拶し、1人となって、姿が隠れ、あらわれ、小道から入る部屋のかげり、奥の光、台所の灯り、光の飾り。家の階段が小道へはみ出ていたりしているの!」

傾斜地の街。街は“自生”の蔓草(つるくさ)が、光を追うように、道が生まれ、道が家をまとい、空き地を庭とし、そこに小道がのび、窓がからんでいる

 「道と家が分かれていないわ」。彼女はその街の特質を発見した。
 「そうだ。境界の無さは、この街の本質だ。ここは城だ。問題は、だれもそれを信じなくなったことだ」。そう言って男は話し始めた。

 「この街の可能性は、次々に道や建築の抜け道をかきわけて歩いてゆけるところにある。きみが見つけたとおり、境界がないんだ。1つの家の中に道が入って来たり、みんなが入れる庭があったりする。隣の家の美しい花が小道に落ち、その中を子どもが走り、年寄りがしゃべり、女が歩いてゆく」

 「街の中を動くと、人の動きが、祭りの日のように人をうっとりと酔わせ、人の波が、偶然、恋人を眼の前に押し出してくれるチャンスもある。ほら、おばあちゃんが座っている小道がつづいていく先に、窓があるだろう…、1片のバラのような女が髪を解いているのが見える…、女のいる空間の奥に、見える紅い壁の絵には、彼女の夢が描かれている。まるで、物語の中に物語があって、その中からまた別の物語がはじまる。ある人を知り、別の人生を知ると、その中からまた別の人があらわれる」


窓の女がいる。それは、予期せぬ出会い。彼女のうしろに紅い絵が描かれている。それは彼女の夢なのだ。窓や庭や道は、幾多の物語を重ね、街に1つ1つ物語の開口を開ける

 「ここは、最後の袋路だ。ここにある、はかない死生の中を必死で楽しみを見つけようとしている姿と、その職や幻想の羽ばたきを、誇りをもって形にするところを想像していた。1人1人の姿を開け放つ、千の窓だった。自分自身であるよろこびを、庭や道として、窓として、開け放つ夢を想像していた。その姿に魅かれて人が入ってくるところを。まだ見ぬ人が、素敵な形ですね、と言って、訪れるところを。そして、その中には、自分の言葉や、自分の眼や、だれをおそれることなく、自分のことを考える場所が、守られている姿を」

 ふたりはしばらく黙って歩いた。少し広い場所へ出た。変わった名前の店の前に出た。

 “希望という名の洗濯屋”と看板があった。

ここは、“希望という名の洗濯屋”。吹き流れている千のシーツ。白のシーツは1枚1枚が人々の幻想であった。私はこの中へずっと入って行った。そこには物語があった

 「この奥にびっくりするような広がりがあるんだよ」
 通りに向かって、大きな開口が開け放たれていた。天井から白いシーツが、またも無数に吊り下げられていた。
 「街に住むすべての人間のシーツがここへ集まってくる。1枚1枚が、1人ずつの幻想なんだ。古びているのもある。破れているのもある。つぎはぎのものもある。千のシーツ、千のよろこびだ」
 「きみが1枚1枚に絵を描け」。かれは言った。「人々が見失った夢と、人が読みえない存在の根拠を絵に描き、それを、人々へ返せ」。

 私は、美しい白いシーツを何枚もくぐってその中へと入って行った。千のシーツをくぐりぬけて行くと、次のような物語があった。


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