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うちの施主のおかしな注文
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建築を千夜一夜のように語る 後編
海の産屋

 東に美しき島あり。青き山に村周れり。中に入江あり。大空より日のまっすぐに入る海中の島あり。人々を見透かすような青いうねり、海入りき…。

 いずれの時か、島の美しさは忘れられてしまった。今は過疎の島である。若い人は島を出て行った。ここに仕事はない。残された島民は、このままでは人がいなくなる、「島おこし」なるものをしてみようと考えた。漁の特徴を宣伝するとか、市場を盛り上げるとか、体験村とか、釣り業とか、TVの取材とか、ホテルの誘致とか、いや民宿だとか、もっと新しいニーズをつくるのだとか、橋を本国との間に架けるべきだとか。どれも、これも、救いにならないのが、かれらにもわかっていたのだったが。
 老人が言った。「島は、内部から死んでおる。ほんとうの内部からはじめねば。わしが子どもだった頃、島は美しかった。美しさだけだった。そこからはじめるのじゃ、だが、子どもの頃への回帰ではないぞ。むしろ、子どもから出発するのじゃ」
 「どういう意味だ?」。みんながたわごとだと思って怒って言った。

 老人は、「子を産むんじゃよ」
 「なにを言ってんだ!」
 「産屋(うぶや)をつくるんじゃよ」
 「産屋?」
 「そうじゃ、美しい産屋じゃ。わしらの海と魚との、本来そのものを、建てるんじゃよ」
 老人は、「海岸の産屋に、毎年、毎月、新しく子を生みに来る若い夫婦がいるかもしれん。美しい子を生むために。あの入江に。騒音もない。埃もない。病院の無菌室じゃあないけれど、清潔というものはそれとは違うんじゃということも言える。手術室じゃないんじゃよ」
 「助産婦や先生はどうすんじゃ!」
 老人は、「おまえはそんなたいそうなものにひろうてもらったんか。それらなしで、とは言わん。産婦人科と同じ安心はつくれる。だが、それは脇道の問題じゃ」
 「産屋には偏見もあるぞ。妊婦は血の汚れだというところだってあるぞ。海を汚すと。産屋は海岸には建てんところもある。嫌がられるぞ」
 「それは間違いじゃ。本来あるべき意味、伝えねばならぬ方の意味が忘れ去られたのじゃ。“古事記”という物語では、ある神は、海岸に鳥の羽で産屋をつくった。それは、もともと、子をつくる畏(おそ)れと、神聖なものと、両方が、入り混じっとったんだ。“みそぎ”を産屋でしたのがはじまりじゃ。わしは思う。若返りじゃ。いちばん強いみそぎは、海に違いない」
 老人は、かなしく、力強く言った。
 「ほんとうに伝えなければならん意味の方が、忘却される。伝えにくいんじゃ。…紙一重じゃから」

 島の若い男が言った。「島が若返るというのか。どんな産屋だ?」。
 「わしらが持っているもの。それは海だ。そこで美しい子を生む。生きてゆく力になるもの」

 1人の建築家が島のおかしな注文をうけた。「海に美しい産屋をつくれ」――。島の人間が船で対岸へ迎えに行った。建築家は手を振っていた。島の呼び声に応じる合図だった。
 建築家は迷うことなく、船に乗って現実と幻想の境界を超えて行った。霧が深く。海は青かった。

 産屋と、その産屋からつづく、短い通廊つきの待合室がつくられた。

海の産屋(うぶや)。夜明け

 産屋は、海と一つになっていた。神殿のようだった。波と光をつなぐ神殿だった。島の石と木でつくった簡単なつくりだった。半分は列柱の間で、そこが待合室。半分はスリットの間で、そこが産屋。母と子が一緒に眠るようになっていた。スリットの窓から日が昇った。

 待合室には、助産師とか、心ある医者とか、看護婦とか、産婆とか、島の人が仲間と呼ぶ手伝いや技術者たちや、昼寝をする犬がいて、舟形のゆり籠(かご)と、食卓、美しい櫂(かい)が、置かれていた。海岸で“なにか”を待っているのだから、列柱から、うっとりと海が見えた。

 島へ戻ってもいい、と考えていた、島出身の女と夫が、この産屋で初めて子を生んだ。

 どうやって、この話が伝わっていったかはわからない。美しい子を生むという、個人的な行為、あるいは意味といおうか、次の言葉によって、この島の物語が人々へ伝わった。
 ――海岸、波と月と、強い光を信じることのできる入江で、子を生もう。

 1年に数人の男と女が、訪れた。子が3つになるまで、島で住む人もいた。子を生んだ男女は、だれが決めたのか知れないが、島を出る前に、1本の木を植えたそうだ。
 “おまえの木”と呼ばれた。「ほらおまえの木だ」と、生まれた子に呼びかけるのだった。
 霧の海、混沌の中、船で渡る、海岸でうずくまり、霧が晴れて、おまえの木という光から、歩きだす。産屋は旅そのものだった。子はその光を覚えている。

 だれも、美しい子を生む島について、不用意な言葉は使えなかった。旅行会社も観光という言葉は使わなかった。島の静けさは守られた。島民は、“美しい白いシーツ”や、布団をつくり、料理を整え、食卓をしつらえ、寒い時のオーバーや夏の日よけを用意し、島の生活の支えをつくった。島は多くの金を手に入れたわけではないが、みんなが“希望”というものを手にしていたことはわかっていた。船の旗をデザインしなおし、騒音の大きな人工物は修理され、網糸を集め、小舟を木陰へ引き寄せ、その横に置いた洗濯台は、女の姿が美しく見えるようにした。不似合いなもの、似合うもの、そのだれもうまく言えない美について、じっくり考えることができた。
 開発とか事業価値とか経営とかという言葉が使えない以上、そういう言葉からしか発想できない者、政府も、世界企業も、島に手出しができなかった。

 人間がなにを望み、なにをよいとするか、それはかんたんに言えるものではないと島の人は気づいた。
 産屋の海岸に白いシーツが何枚もなびいているのを見たとき、「島の祭りのようだ」と、だれかが言った。

海岸の橋立のような産屋。屋根の鳥は、神聖鳥だろう

 産屋ができて1年半頃、不思議な話が語られた。海岸で子が生まれるとき―、海が“反応する”、という。海の反応は、子が生まれるとき―、例外なくおこった。

 1人の女性のジャーナリストが取材に行った。予測が鋭く、深く人間に染み込む言葉を追う、強く、知的な女だった。彼女の表現は抑制が際立ち、人間の描写は稀に見る気品に達していた。“声を察して意味を知る”と言われた彼女の取材で、彼女はかすかな聞きなれない声も聴きもらさない。

 …島の人間、乳母代わりの女たち、看護婦、医師、海で子を生んだ女、付き添った男、近所の人々、漁師、子どもたち、山の生活者、自分の子ではないのに自分の子と同じように生まれた子を愛す、人間が、彼女に素直に語った。しかし、困ったことがおこった。
 みんなが話す内容、みんなの感覚を1つ1つ重ねても、なんの認識にも到達しないことがだんだんわかってきた。1人1人は本心を語っている。それなのに、個別的な感覚を拒否する“海”に、みんなが見たものは、疑うべくもない真実なのだけれど、抒情とでもいうしかない“反応”なのだ。みんな、最後に彼女に言った、「あれは、なんだったんでしょうね…」。それはこたえだったのかどうか―、問いだったのかどうか―。
 見つめてもそれを言えず、聞き入ってもそれは聴こえず、感覚が、歯が立たない。――言葉を介さずに心で喜びを味わっているんだ、と彼女は理解しようとした。

 彼女は待った。子を生む女が島にやって来るのを。自分の眼で見るしかなかった。必要があれば、予定も方針も変える今日的な女性だ。反応が一体どんなものか、結局わからなかったというわけにはいかない。
 ぼっーと放心してしまう、美しい昼と夜が、彼女の眼の前を過ぎていった。時々海へ入って、浮かんだり、泳いだり、遊んだりした。お産の時が来るのを、彼女は待合室でうとうとして待った。
 海の中を船がやって来て、身ごもった美しい女を島へ渡すと、海岸の産屋が光を宿す。女の腹の中でどくどく子の鳴るのが聴こえた。待合室にかけられている何枚もの白いシーツが揺れ、床で美しい砂が動いた。海が入ってきた。
 7日目の朝。赤ちゃんの泣き声がした。彼女は待合室から走った。通廊のシーツをくぐり抜けて海へ走った。
 日の光が迫り来る入江の中心に立つ。彼女は“海の反応”を見つめた。自分の息が切れる。まわりの音が消える。震えながらおしりのポケットから手帳を出す。ありったけの力をこめて、自己の才能のすべてをペンに射った。痛みに近かった。
 時間が過ぎた。何年も。彼女は、それを記憶の底に刻んだし、記憶の海からいつもひきあげようとしてきた。自分のはだしの足の下で、浜の砂の一粒をいつも感じた。だが、不思議なことに、彼女は、それを言葉にすることはついにできなかった。

産屋は、青い海と白い砂浜の向こうにある。砂の上の巻貝が、この物語を伝えているようだ

 後年、母のところに、絵の注文があったそうだ。ある女性のジャーナリストから、「海が泣いている絵を描いて欲しい」という注文だった。それを見たという人たちの千の証言が、“海が泣く日”と題された資料の中に、精巧に整えられて届いた。
 母も、海が泣く日をよく知っていた。母はこの海岸で私を生んだのだ。今、母も老年に入り、その絵を描くことができる気がする、よい旅路の道連れができたと言った。
 窓を彫る男、つまり私の父は、「海に窓を彫りに行った」。そう聞かされた。どこへ行ったのか知れない。一説には、境界の問題から国境の問題へと構想を進め、遠いインドの聖なる川で、群衆が“みそぎ”をしている中へ、ずかずか入り込んでいって、かれの千の彫刻を並べようとしたところを、激怒した群衆に殺されたとも聞いた。おまえが海岸で生まれた瞬間に嵐の海へ向かって消えたんだ、と言う人もいる。
 母は千の色彩を持つ画家になったが、私がつくった建築を見せると、彼女は「これは“千”ではない」と文句を言う。
 私は、“おまえの木”という構想を島に教えたのは、父ではなかったかと考えている。千の窓と一貫した強い光がそこに見える。真相はわからない。
 女性のジャーナリストは、海を言葉にできないことを絵に託すという、現実的な方針に策を転じる柔軟さを持っていたが、窓を彫る男は、海の夢へと引き寄せられていった。…紙一重だ。だれがいちばん長く、旅をつづけているのだろうか?

 「うちの施主のおかしな注文」というこのコラムは、今回が最終回である。「施主のおかしな注文」を源にして、建築の意味を見つめようと進めた私たちの旅を、最後の「海の産屋」の物語でしめくくろうとした意図は次のようなものだ。

 母という人格に投影した夢見心地で自由な女性像や、大切なものは言葉にできないと知る女性ジャーナリストや、「産屋をつくれ」と注文した島の長老の夢や、窓を彫る男の挑戦心や、“おまえの木”を子のために植えて、その光に希望を見る人々の行為は、すべて、私たちが実際に出会った施主の人間像を元にして描いた。
 「おかしな注文」は施主の呼び声だった。「建築」はその応答だった。その間に、私たちは、現代の壊れそうな“希望”を見ている。揺れて今にもなくなりそうなものの中へ入って行く…、「中にびっくりするような広がりがあるんだよ」。窓を彫る男はそう言った。これは私たちの本心だ。
 建築は、施主1人1人の希望の姿を現実につくる。建築はそれができる“はじまり”で“最後の砦”だ。1つの島の住民が、その存在を賭けて、自分たちのはじまりと最後の砦をつくる、その“物語”に、希望を託して、このコラムの最後としたいと思う。

 「海の産屋」の物語で出てきた、楽しそうに手を振って合図をした建築家のように、私たちも、未来のわからない不安の中で、人々の間に横たわっている恐れや、謎や、絶望や、障壁や、あきらめを、軽々と乗り越えて、いつも、人々が心奥深くもっている“夢の姿”の実現へと向かいたいと思う。

(CG:橋本英治/イースタン建築設計事務所)

Profile  
中村安奈(なかむら・あんな)+神野太陽(じんの・たいよう)
イースタン建築設計事務所(EASTERN design office)

 中村安奈と神野太陽は、京都に拠点をおきながら、現在、日本及び中国で活動している。EASTERNの由来は、東方からの建築。

 建築は、形が大事なのではなく、形を介して見る自然の豊饒さこそが大事なのだ。1本の椿(つばき)、流れていく雲、木々の光、緑なきところの光。それら大事なものを全身的に感じる、その具体的な宣言が建築の在り方である。

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